ケニアの仲間たち
オンプリュを支えてくれるケニアの生産者や街の人たちを紹介します。
- サイザルバスケット職人1 ジュリアナ
- サイザルバスケット職人2 ヤッター
- サイザルバスケット職人3 ヘンリー
- サイザルバスケット職人4 マンゴー村
- ファトゥマお母さんとウガンダふたり旅
- ドライバーのアンドリュー
- カリオコマーケットと革職人のジュグナ
- 青空ごはんやさんイブリン
- 木の職人の村
一緒に働いてくれる人を見つけるのはたいへんです。この仕事を始めたころのエピソードをひとつ書いておきます。
あてもなくナイロビまで来てみたものの、どうやってサイザルバスケットの生産者をみつけようかと思い、サイザル職人のお母さんたちがバスケットをもってくるカリオコマーケットに通い、これからサイザルバスケットを仕入れたいから村に連れて行ってほしいんだけど、とランダムに声をかけました。
はじめてあった日本人に、いきなり村に連れて行ってとは、ほとんどのお母さんが困惑の表情。いきなりアジアの何人ともわからない女性が一人、村までいきたいって。いま思えば、こちらの方が怪しい人でした。
そんな中、OKしてくれたお母さんが現れたので村に連れて行ってもらいました。村に着くと職人のお母さんたちは私をだいぶ若いと思ったのか、「ワーチャ、ワーチャ」とこどもをあやすようなジェスチャーをしてくる始末。
こどもじゃないよ。もう20代後半だよというと驚愕の表情。こどもはいるのか?こどもはいないよ。というと、こんなところにいる場合じゃない。こどもを産んだ方がいいといわれ、いや仕事しにきているんだって、とオーダーシートをだすと、やっとこの人オーダーだしにきたんだとわかってくれました。
まず同じものを2個作ってもらって2個買取りし、1個は村に置いておいて同じものを作ってもらう、というのがオンプリュのサイザルバスケットづくりのスタートでした。
これをまずは5個ずつ作って欲しい。半年後にまたくるね、と最初の50個までは作ってくれていたのですが、次は200個作っておいてね、また半年後にくるよ、と言って半年後にいったら、納品の日になにも作っていないことが発覚。仕入れ値の半額を前金に払っていたのに、ひとつも納品されない事態に。
理由はもう来ないと思ったから。
その日、木のカトラリーを納品にきていた職人たちも「ポーレサーナ」の一言。(ポーレサーナとは「お気の毒に」の意味。)でもお気の毒では済まない事態です。そこから新しい職人探しがはじまりました。